The KICKS


靴だけはいいものをはけ。口うるさい親父は靴に関しては特にうるさかった。シュークローゼットをあければ、グッチやフェラガモのドレスシューズから、ワークブーツやトレッキングブーツ、およそ100足あったらしい。まるで靴の博物館のようだった。そんな親父が満を持して初めて買ってくれたスニーカーが、アディダスのカントリー。ニューヨークにいとこがいる友達はいつもナイキの新しいスニーカーをはいていて、それがとてもうらやましかった。エアマックス95イエロー全盛期、さらにはマイケル・ジョーダンとスラムダンクによるバスケブームを横目に、当時の小学生にとってナイキのスウォッシュは憧れだったのだ。(みんな、そうだったはずだ。)そんななかで与えられたアディダスのカントリー。今でこそ素晴らしいスニーカーだと思うが、その頃は良さが分からなかった。でも、しばらく履いていたと思う。振り返ってみると、このカントリーがその後の僕のスニーカーを選ぶひとつの基準になっているかもしれない。

さて、時は流れた今、カントリー以外にもさまざまなスニーカーを手に入れては足を入れてきたが、いよいよ来年には未来のスニーカーもお目見えする。憧れのオートシューレース機能を搭載した、NIKE MAGだ。BTTFについては説明するよりもTSUTAYAに行っていますぐ観ることをすすめる。

NIKE MAGはオークションでのみ買うことができる。売り上げは全てパーキンソン病患者を支援するマイケル・ジェイ・フォックス財団に寄付されるという。2015年はBTTFのメモリアルイヤー。このテクノロジーの登場に世界は大いに沸いた。フェイスブックでは「子どもが靴紐を結べなくなるのではないか」なんていうどうしようもないコメントが書き込まれていたが、ロボットの発達によって雇用がなくなるなんていう考えと同じ程度でしかものを考えられない典型である。(そもそも、ロボットに代わる雇用などとっとと明け渡して人間がやる必要はない。ロボットにできないことを人間が創出すればいい。と個人的には思っている。)テクノロジーは本来、生活を豊かにしてくれるものであるべきだ。未来では靴紐が結べなくなる?自由に両の手で結べることが当たり前のような、視野の狭さには辟易する。世の中には靴を履くのに大変な苦労をしてる人もいる。オートシューレース機能の普及が実現すれば、それを介助し、靴を履く行為をより豊かにしてくれるのではないだろうか。安易なテクノロジー批判には呆れるばかりだ。

さて、話がそれてしまったが、
レアなスニーカーを追いかけるには財力や行動力、最近では動員力もいる。スニーカーブームの再燃により、スニーカー人気とマーケットは加速の一途を辿っているのだ。映画スニーカーヘッズは各国で巻き起こるスニーカームーブメントを捉えたドキュメンタリー。スニーカーに魅せられたファンたちの狂気と興味をとことん掘り下げている。

知人のセレクトショップのオーナーは言っていた。「コレクターじゃなくても、スニーカーは2足以上買え」と。スニーカーに限らず、靴は、日常で身に付けるもののなかで、最も耐久性が要求される。自身の体重を支えながら、汗を吸収し、日の光を受けて風雨にさらされ、固いコンクリートに1日何千何万と打ちつけられる。蓄積されるダメージは計り知れない。お気に入りの一足と長く付き合いたいならば、日替わりで2足以上の靴を交互に履くことをすすめる。それは、日々、前へ進むために、身を呈して僕らの足を守ってくれるスニーカーへの、せめてもの労いなのだ。

さいごになるが、最も象徴的なスニーカートップ10という動画があるので掲載しておく。あらためてスニーカーの歴史を振り返るには打ってつけ。スニーカーヒストリーのテキストブックだ。スニーカーフリークの鏡であるラッパーたちが綴ったスニーカーソングも併せておさらいできる。ファンキーでフリーキーでクレイジーなるスニーカーは音楽文化とも深く繋がっているのだ。
スニーカーには夢がある。希望がある。ロマンがある。レアな限定モデルに並ばなくても、ウェブでカートに入れた瞬間に売り切れてしまっても、未来のスニーカーは手に入れられなくても、悲観することはない。人の数だけスニーカーがあり、ドラマがあるのだから。手元、いや足元にあるスニーカーをあらためて愛してあげよう。


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